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Dissertation

Kutani Ware / 九谷焼

金沢で伝統を守り続けている九谷焼の窯元、光仙窯。明治三年創業当時から今日まで、轆轤成型、施釉、本焼、上絵付にいたるすべてを一貫して手作業で行うこの窯元で〈little cloud coffee〉のドリッパーやカップ&ソーサーは作られています。

Category:Products
Date:2016.11.08
Tags: #kutaniware #littlecloudcoffee #九谷焼

金沢で伝統を守り続けている九谷焼の窯元、光仙窯。明治三年創業当時から今日まで、轆轤成型、施釉、本焼、上絵付にいたるすべてを一貫して手作業で行うこの窯元で〈little cloud coffee〉のドリッパーやカップ&ソーサーは作られています。轆轤を回す巧みな陶工の手に、繊細な柄を正確に描く絵付けの筆使いに、確かに息づく伝統を感じることができます。

九谷焼の歴史は、江戸時代初期の1655(明暦元)年まで遡ります。加賀の支藩だった大聖寺藩の初代藩主・前田利治(まえだとしはる)が、領内の九谷(現在の石川県山中町九谷)の金山で陶石が発見されたのに着目し、金山で錬金の役を務めていた後藤才次郎(ごとうさいじろう)に命じて肥前有田で製陶を学ばせました。その技術を導入し、九谷に窯を築いたのが始まりとされています。

しかし、九谷の窯は1700年代初頭に突然に閉じられてしまいました。大聖寺藩の財政難による窯の資金不足や、藩主の代替わりをきっかけとする政策の方針転換など、閉窯の理由はいくつか想定されますが、いまだに定かではありません。この半世紀あまりの間に焼かれたものが、古九谷(こくたに)と呼ばれ、日本の色絵磁器の代表として独特の力強い様式美が高く評価されています。

 

古九谷の廃窯から約80年後、加賀藩営で金沢に春日山窯が開かれ、再興九谷の時代に入りました。春日山窯の木米(もくべい)風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本窯、金襴手の永楽窯など数多くの窯が出現し、それぞれに素晴らしい画風を作り出してきました。

明治時代に入ると、窯元は藩からの支援が得られなくなり、自活による経営が迫られるようになりました。旧大聖寺藩の職人たちは、作品の品質をさらに高めることで、「美術工芸品の作家」となって名を挙げようと努力しました。彼らの中から、絵付け技術の指導的立場で次世代の作家をリードした竹内吟秋(たけうちぎんしゅう)、浅井一毫(あさいいちもう)兄弟や、書や食のジャンルで幅広い活躍をした北大路魯山人(きたおおじろさんじん)に陶芸を教えた初代須田菁華(すだせいか)などの名工が輩出されました。また、この頃から斎田道開(さいだどうかい)、九谷庄三(くたにしょうざ)らの活躍もあって、大量の九谷焼が海外へ輸出されるようになりました。

 

今日の九谷焼は、各時代の窯の上絵付けの作風を受け継ぎながら、新たなライフスタイルにあわせた多種多様な器の制作にも取り組むなど、以前にも増して活発な生産が続けられています。

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